車で追突されまして・・・救急車が呼ばれた編

信号待ちで止まっていたら追突されました!

以前このブログに追突事故の詳細をアップした時と同じ場所で

1年も経たないうちに、再び前方不注意の車につっこまれたのです。

今度は全損!

前回は大きなSUVで高校生のお母さんが運転、相手側は損傷ほぼなし。

今回は小さな電気自動車で高校生の男の子が携帯操作をしていたための追突。

でも速度が違う!私の車は気づいたら更に前の車にぶつかるサンドイッチ状態。

後ろの車と私の車は廃車。

救急車が呼ばれ、道路は反対車線も含めて一時閉鎖です。

 

siliconvalleyway.hatenablog.com

 

さあて、何から書こうかしらというほど、事故に伴い諸々の事が発生しています。

なにしろ前回の汚れのような車の修理に1ヶ月半を要したのですから、

今回はまだまだ手続き半ばです。

ここでは事故の詳しいいきさつを。

後日、保険や車の手続き等をまとめてアップします。

 

当日は子供の習い事に行くために信号待ち。

信号で左折するので少し左寄りに止まり、左脇から進めないか考えていた所

(左に体を傾けていた)何かが発生。

 

正直自分は冷静に頭に記録していないのです。

 

横の助手席にいた子供が一瞬ふわっと飛び、

シートベルトの緊急装置でガッとシートに引き戻された瞬間を一部始終見ています。

(このシーンがのちのちプチPTSDとなり

プチ不眠とプチ食欲不振の原因になるのです。

プチとつけたのは、でも寝ました&食べましたという事で。)

 

なぜか車が浮いて前の車にぶつかっていたようなので

反射的に右足のブレーキをさらに深く踏んでいました。

 

自分は右に傾き、やや下向きに宙吊り?っぽい形で止まっていて、

シートベルトの圧迫感で息苦しい状態。

大声で悲鳴をあげていました。この声に萎縮してか子供は終始寡黙でした。

エアバッグは作動しておらず、

ハンドルから焦げ臭い匂いと煙が漂っているのが見えました。

 

自分の車の非常信号装置が働いたようで、

すぐに車のスピーカーから誰かが話しかけて来ました。

正直、私は息が苦しくてろくに会話ができなかった&英語だったので、

子供が全てやり取りをし、警察と救急車が呼ばれました。

私、”は〜”とか”ふ〜”とか、ひたすら横で雑音。

 

この時点でもまだ後ろに車がいた事は把握してなかったと思います。

前の車も動かず、誰も出てこない。

 

通りすがりの車がすぐに駐車して親切に様子を見にきてくれたのですが、

私は会話したつもりが相手の話をまったく聞いておらず、

同じ説明を2回させていました。

〜教訓:貴重な目撃者には連絡先を聞いておきましょうね。〜

 

現場は消防署から2ブロック。速攻でサイレンの音がしました。

それと前後して、後ろの車の高校生が"Sorry~"と言いながら出て来ました。

そこは覚えていますが、自分たちがどう対応したか覚えていません。

たぶん無言だったと思います。

 

大きな消防車が真横の反対車線に止まり、救急隊員がまっすぐに私の所に来ました。

何か答えなくっちゃと思い窓を開け

”大丈夫だからしばらくここに座ってていい?”と言ったのを覚えています。

どこも痛くないけど、動きたくなかったのです。

救急隊はつけっぱなしだったエンジン・電気系統を切ってくれました。

〜教訓:エンジンのかけっぱなしは危険です。

 

現場の写真を撮らなくっちゃと思い、これも子供にやらせます。

車が左に寄っていたため、右側の助手席側は損傷が大きくてドアが開かない。

後ろのドアから子供に下りてもらいます。

〜教訓:子供の年齢にもよりますが、子供に撮影させるのは勧めません。

証拠写真にするにはマトのずれた写真だけが残ります。

 

どのくらい時間が経ったでしょうか。

いつの間にか救急車とパトカーも止まっていました。

一回りした救急隊が戻って来たので

いいかげんに車を降りなくっちゃと思い外に出ます。ゆっくりとしか動けません。

体中、特に手先が震えています。

なんだか座りたくて、そのまま葉っぱだらけの歩道にしゃがみこみました。

(あ、これよく見る光景。

事故現場で車のすぐそばに当事者が途方に暮れて座っている。これ私だ〜。)

 

救急隊は私のバイタルチェック。

だいぶ自分は落ち着いたと思ったのに、見た事もないような高い自分の血圧を見て、

思わず”この数値を写真に撮らせて下さい”とアホなお願いをした私。

どこも怪我してないと思ったので、救急車に乗るのを断りました(高いしね)。

その際、乗らない決断の書類にサインをしなくてはならなかったのですが、

右手が使えず、震えながら左手で、ものすごーーーくゆっくりと記入。

震えて読みづらい汚い字。

救急のお兄さんたちは終始ナイスでした〜。

〜教訓:救急隊とはもっと実りのある会話をしましょう。

事故の状況とか自分の体調とか、事故処理とか。

少なくとも彼らは若くてカッコイイですから。

 

子供からの連絡を受け、主人が到着。

うちの子は普段から寡黙で言葉足らずな上に、日本語が得意ではありません。

電話を受けた主人(日本語主流)は事故の詳細を質問するも良くわからずじまい。

3台の真ん中だという事と救急車が呼ばれたという事だけは確認。

電話はつなぎっぱなしだったのですが、私は救急隊と取り込み中で

話す事ができないままで、現場に到着するも道路閉鎖で中にも入れず。

さぞかしヤキモキした事でしょう。

〜教訓:子供の日本語教育はサボらずに徹底しましょうね。

 

来てすぐ、連絡先の交換等を主人がやってくれていました。

衝突して来た高校生もお母さんが速攻で到着してたようです。

 

警察と救急隊に囲まれてしゃがみこんでいる間にも高校生は謝りに来ました。

当事者同士の会話はあまりしたくなかったので手短にコメント。

救急隊も”Those things happen"と言って受け応え、彼に背中を向けてくれました。

 

正直、彼に対する怒り等の感情は直後からありません。

現場で早々に高校生と聞いていたので、自分の子供と同年齢だし、

”頼むよ〜”という気持ちが一番近い。

彼が一人でオロオロしてる姿や途方に暮れている姿も目撃してるし、

警察官は”彼が泣きながら反省してるよ”とあとで教えてくれたし、

どうも親から子への目線で考えてしまいます。

  

調書がひと通り終わった後、ようやく

自分も動かなくっちゃと思い保険会社に電話をします。

この時に、左足がなぜかひどい筋肉痛のようになっている事に気づきました。

 

電話をしている最中にレッカー車がやってきたので

てっきり自分の車を持って行ってくれるのかと思い保険会社に実況中継していたら、

あらら、後ろの車だけ。

おまわりさんに言ったら、”えっ自分の車に乗って帰れば〜”ととぼけたセリフ。

前も後ろもボッロボロで、車のエンブレムが下に落ちてますよ。

タイヤにボディが食い込んでるし、そりゃ無理でしょ?

・・・という心の声は押し殺し、子供みたいに運転したくなーいと言ったら

すぐに無線で呼んでくれましたけどね。

主人がいつの間にかトランクの中の荷物やらすべて回収してくれていました。感謝!

 

自分の車のレッカー車が来る頃に後ろの車のあたりは砂をまいて道路の清掃を開始。

この作業がアバウトなので、

事故後もしばらくは付近に砂とキラキラ光る自動車の部品が残っていました。

付近を通るたびに”あ〜これは私の愛車のパーツかも”と虚しくなるのでした。

 

アメリカで道路を走っていると

よく道端にバンパーやらタイヤやら車のパーツが落ちてますが、

こういう事なんですね。ちょっとは片付けた後なのでしょう。

 

現場処理が終わり3人でとぼとぼ歩き出したら、遠くの信号で

パトカーを横付けして通行止めにしていた警察官が交通整理をしていました。

声を振り絞って心からのサンキューを伝え、その日は帰路についたのでした。

 

長くなりましたが、これが事故の時系列です。

当日は落ち着いて自分はなんて事ないと思ってました。でも全然違った。

 

後ろから衝突されたって気づいたのも遅かったし、

周りの人にいろんな事をまかせっきりで自分は動けてなかったし。

事故車の車種すら把握してませんでした。

警察が動いてるから安心してしまったのかもしれません。

しか〜し、ここはアメリカ。自分で動かなくてはいけないんですね。

 

警察からのPolice Report・調書が2ヶ月もかかったのです。

これもしつこくリクエストを入れたので見せてもらえましたが、

黙ってたら誰も教えてくれなかったと思います。

Police Reportは大抵時間がかかるもので1ヶ月は覚悟との事。

担当したAtherton警察は比較的暇なお役所だそうで(高級住宅街で規模が小さい)

保険屋さんが急ぐようにとのリクエストも出してくれていたのですが。

それでもこんなに待たされました。

 

これを見て初めて後ろの高校生が携帯をいじっていた事や前の車の情報、

現場の状況や判断などがわかりました。

 

体はどこも痛くないと思っても後から出て来るというのは本当の話。実感。

そして私の場合は精神的なダメージが大きかった。。。 

後日、全損編、保険手続き編、体調編、まとめ編と続けますよ〜。